Jeremy Linについて

2月25日号のEconomistの「China」では、Jeremy Linに関する記事が掲載されていた。
NBAのニューヨーク ニックスのポイントガードで、今年1月、主力選手の怪我のために出場機会を与えられ、突如彗星のごとく大活躍を見せている選手。LinsanityやLincredibleといった造語もできるほど、ニューヨークの人々はLinに夢中になっている。

記事では、Linのユニークな点が4つ挙げられていた。

  1. 生まれ育ったのがアメリカで、家族のルーツが台湾であること。そのため中国はLinが「中国出身」であることを主張するのに苦労している。
  2. キリスト教であること。中国はLinの人気が政治(共産主義)に与える影響を心配している。
  3. ポイントガードであること。偉大なNBA選手であった2メートル29センチのヤオ・ミン選手のポジションはセンター。また現在ダラス マーべリックスに所属するイー・ジェンリェン(2メートル13センチ)もパワーフォワードである。
  4. ハーバード卒であること。

僕自身もバスケットボールをやっていたので、リーダーシップや戦略的思考、瞬時に機転の効いた判断をする力が求められるなど、最も難しいポジションだと感じる。ニューヨーク ニックスという名門チームでマイノリティであるアジア人にも関わらずそのポジションを立派に務めているLinは、やはり並大抵の選手ではないと思う。Linの活躍はアメリカにおけるアジア人のプレゼンス向上にもつながるはずであるし、純粋に同じアジア人としてLinの今後の活躍に期待したいと思う。


また本記事では、中国とアメリカのスポーツシステムを比較することで、Linのような選手は中国のシステムでは育たなかっただろうと指摘している。その理由として、中国はヤオ・ミンのような長身の身体的に優れた選手を育成することに力を入れており、そもそも最初のエントリーの時点で並の慎重であるLin(1メートル91センチ)は漏れていただろうということ、また中国のスポーツシステムは子どもをスポーツ選手として成功することのみを要求し、学問に取り組むことを許さないため、中流家庭の両親は子どもをそこに引き渡すことを嫌がることが挙げられていた。

日本でも近年では、野球ではダルビッシュ選手やイチロー選手、サッカーでは香川真司選手や中田英寿選手など、身体能力が特別に高い人種ではないにも関わらず、優れたスポーツ選手を育成するシステムが整いつつあると思う。こうしたスポーツ選手は海外における日本のソフトパワーの一翼を担っていると感じるし、今後も国として優れたスポーツ選手を輩出するシステムを一層整備していくことは重要なことだと感じた。

コダックと富士フィルムの明暗を分けた要因

Technological change: The last Kodak moment?


Why I chose this topic
1. In my division, we are watching for the movement of Fujifilm because it started new business in the field of regenerative medicine.
2. This article discusses one of the most important issues of technology management, “Innovator’s dilemma”, which I studied in my graduate school.


Discussion topics
This article compares two companies which were both pioneers in film business. But Kodak failed and Fujifilm has transformed itself and has been successful so far.
1. Do you know another example that a company has transformed itself and adapted well to the new world?
2. Do you think of any companies or industries which are now facing technological change and need to transform their business?


Summary
【Technological change】
・Digital photography replaced film. (1980s)
・Smartphones replaced camera. (Recently)


Kodak
・It sold film in America and enjoyed near-monopolies.
・Market capitalization: $220 million


・Why it failed?

  • It had become complacent.
  • It worked in a one-company town, which made its bosses in Rochester seldom hear much criticism of the firm.
  • Its leadership has been inconsistent; its strategy changed with each of new chief executives.
  • It failed to figure out its core-competence; it thought its expertise lay in imaging, not in chemicals.
  • It stuck in its old business model of “razor blade”, making money on the expensive film instead of the cheap camera.


Fujifilm
・It sold film in Japan and enjoyed near-monopolies.
・Market capitalization: $12.6 billion


・Why it survived?

  • When the technological change happened, Mr. Komori took leadership and quickly set about overhauling the firm.
  • He has spent around $9 billion on 40 companies since 2000 and reduced costs and jobs drastically to reconstruct the business model.
  • It sought new outlets for its expertise in film. (Cosmetics, LCD flat-panel screens)

この記事では、かつては共に写真フィルムの分野で先駆者であったコダック富士フィルムの二社を比較することにより、なぜコダックは落ちぶれ、富士フィルムは上手く多様化し生き延びてきたのかを分析している。この事例は、僕が大学院で勉強した技術経営の分野の重要な理論の一つである「イノベーションのジレンマ」の好例であると思った。つまり、コダックデジタルカメラという破壊的イノベーションの登場に上手く対応することができず、旧来のフィルム事業のビジネスモデルに固執するあまり、ついには倒産に追い込まれてしまった。(しかも皮肉なことに、デジタルカメラの技術はコダック自身が生み出したものであった)一方、富士フィルムは技術変化に上手に適応し、フィルム技術を化粧品やフラットパネルスクリーン等の事業に活かし、事業を多角化することで生き延びてきた。最近では再生医療分野等、医療の分野にも進出している。


本記事では結論として、トップがリーダーシップを発揮し思い切って古いビジネスから脱却すること、また自社のコアコンピタンスを正確に把握しその新しい適用先を見つけることが急速な技術変化に企業が適応するために重要であることを示唆している。


今日の勉強会では、富士フィルムのように柔軟に自社のビジネスを変え上手く生き延びてきた事例がないかを議論した。石炭会社が金属リサイクル会社に転換したこと、商社が貿易の利ザヤを抜くモデルから事業投資会社に変革したこと、シャープが主製品を文房具から電気機械、太陽光パネルへと転換させていること、等が意見として出た。


また、今後大きな技術変化に直面し、ビジネスモデルや主力製品の変革が求められる産業についても議論した。電気自動車が新たな主役となりつつある自動車業界、脱石油の圧力にさらされる石油業界、遺伝子組み換え食品や植物工場等の新しい技術が確立されつつある農業等が意見として出た。こうした業界における日本の企業や事業者が、富士フィルムの事例を参考にし、自ら変革し生き延びていくことを大いに期待したい。

ブログというメディアがもたらす変化について

以下、日曜日の勉強会で発表した内容です。今回から全部英語でディスカッションをするルールになりました。

Economic blogs: A less dismal debate


Why I chose this topic
○ I am interested in how blog or social media(SNS, Twitter) change the world. This article offers some hints.


Discussion topics
1. This article insists that blogs have improved the global conversation about economics instead of cheapening it.

  • Do you agree with this idea?
  • This article mainly talks about the situation in United States. Is there any difference between United States and other countries like Japan?

2. Some of you have your own blog. Even if you don’t, I think most of you use blog or social media as consumers. As producers or consumers of blog/social media, how do you make the most use of them?


Summary
○ Some professors and politicians fear that blog foster extremism by making people hear only view they agree with.

○ On the other hand, the Economist claims that blogs have improved the global conversation about economics.

○ Research suggests that blogging economists are regarded more highly than non-bloggers.

○ Blogs have brought some experts out of the shadows, who were once unknown scholars.
Ex.) Mr. Sumner (He claims on his blog that the central bank should pursue “nominal” GDP target instead of inflation target)


My opinion
○ Some people say getting involved in blog or social media actively is a waste of time, however, I believe it will enrich our lives. By using them, everyone can have your own media, produce contents and provide messages to the world regardless of which organizations we belong to. It also enables us to connect with other people who have the same mind or purpose.


この記事では、ブログというメディアが生まれたことにより、アメリカにおいて、これまで日の目を浴びてこなかった傍流の経済学者の発言力が増してきている様子が書かれている。具体的には、Bentley大学のSumnerという経済学者が、自身のブログ上で、アメリカの金融政策に対する批判・提言をした(FRBインフレターゲットの代わりに名目GDPターゲットを定めるべき等)ことを受け、著名な経済学者であるクルーグマンがその記事に対して反論するための投稿をするということが起こった。こうした事例が増えてきているから、ブログというメディアは、これまでは無視されていたり表に出てこなかった経済学者の意見を世の中に出し、経済学に関する議論を活発化させているのだ、と記事は主張する。


この記事の主張に僕は積極的に賛成したい。ブログあるいはTwitterFacebook等のソーシャルメディアの登場により、誰もが情報の受け手から発信者側に回ることが可能となった。また自分の所属する組織や団体の考え方とは独立して、あくまで一個人として意見を発信することができる。こうしたブログやソーシャルメディアの登場による人々の働き方や学び方の変化を論じた人として、梅田望夫氏が挙げられる。(僕も2007年に書評を書いている。→ウェブ時代をゆく - EST!EST!!EST!!!


個人的には、組織の寿命が短くなり、また日本でもNPOや起業等より多様な働き方が受容されつつある中で、どの組織に属しているかよりも、その人自身がどのような意見を持っているかが強く問われる時代になってくると考えている。もちろん、僕自身は一週間の大半を今いる組織の中で過ごしており、その考え方に大きく影響を受けている。周りからも、その組織の人間としてまずは見られる。それでも僕は、組織人としての顔も持ちつつも、個人としての意見をブログやソーシャルメディアを通じて積極的に発信していくこと、またそれにより様々な考えを持つ人たちとの交流を進めていくことが大事だと考えている。このブログもその一つのモデルとなるべく、もっと情報を発信していきたいと思う。

読書について〜基礎に立ち返る〜

様々な人たちのブログやTwitterでのつぶやきを見る中で、自分の読書について思うことがあったので、備忘録として書き記しておきたい。


○ 読書を始めたきっかけ
僕は小学校から中学、高校まで読書の習慣が全くなかった。おかげで受験勉強においても現代文は常に足を引っ張る科目であった。センター試験の本番や模試でも、英語、数学、理科はほぼコンスタントに満点近い点数を取れたが、国語だけは点数が最後まで安定しなかった。そんな僕が一番初めに読書に興味を抱いたきっかけは、和田秀樹さんの本だったように思う。高校三年生の夏にバスケ部を引退して、受験勉強を本格的に始めようとした時、予備校に通っていなかった僕は何とかして残りの短い期間で大学に合格できないかと考え、たまたま和田秀樹さんの「新・受験技法 東大合格の極意」を手に取った。その本に書いてあった指針に従って勉強を進めたところ、成績はどんどん向上し、受験も難なく乗り切ることができた。わずか数千円のコストをかけることで、著者が長年にわたって研究してきた知見を享受できるとは何と素晴らしいことなんだろうと強く感じた。


○ 大学生の時の読書
大学生になり読んだ本の中で最も印象に残っているのは、茂木健一郎さんの「感動する脳」という本である。「高い欲望を持つことで、考える力が養われ向上する」「不確実性へのチャレンジこそが脳を活性化する」といった言葉は、引っ込み思案であった僕の大学時代の様々なチャレンジを後押ししてくれた。本は人の思考や行動習慣まで変える力があるのだと思った。
こうした経験から読書の魅力をようやく認識し、本を読む頻度が加速度的に上がっていった。ただ、大学生に入るまでほとんど本を読んでいなかったために、難解な本は頭に入ってこず、途中で投げ出してしまうことが多かった。そのため、流行りの社会的事象を平易な言葉で解説した新書や、自分の生活の向上に直結する自己啓発本の類を主に読むようになった。こうした本は、読書の習慣を定着させる上では大いに役立ったように思う。おかげで、大学生後期から現在までは、平均して週に一冊くらいのペースで本を読むようになった。


○ 基礎に立ち返る
もっと「古典」やいわゆる「教科書」など、基礎に立ち返ることの必要性を感じている。例えば自己啓発本を例にとる。これまで勝間和代さんとか本田直之さんとかの自己啓発本を結構読んだ。しかし最近、こうした著者の本は、「7つの習慣」や「自助論」といった過去の名著の内容を寄せ集めて組み合わせただけのケースが多いことに気付き始めた。もちろん、過去の名著の内容を現代の文脈に合うように分かりやすく書き換えて紹介してくれている点で、こうした本に価値があることは間違いない。ただ、書かれている内容が時間の変化とともに陳腐化しやすい、知識が断片的になりやすいという欠点があるように感じている。
また私は、経済官庁に勤めていながら、恥ずかしいことにケインズシュンペーターフリードマンなど、いわゆる経済学の「古典」をきちんと読んだことがない。今後の仕事人生において自分が拠って立つ原点を確立するためにも、今後はこれら古典的名著にもチャレンジしていきたい。同時に、いわゆる「教科書」に立ち返ることの必要性も感じている。2011年は経済学関連の新書を何冊も読んだが、基礎となる経済理論の理解があやふやな部分が多かったように感じる。また仕事の中で政策を作っていく過程でも、きちんとした経済理論や統計データなどに裏打ちされた政策を打ち出していくことがもっと必要だと感じている。そのため、ミクロ経済、マクロ経済、国際経済などのいわゆる基礎的な教科書に立ち返る必要性も感じている。
さらに、社会人になり読書に割ける時間も減った。限られた時間の中で効率的に読書から学びを得るには、長い年月にわたる淘汰のプロセスを経て残った古典や教科書を読むことが重要ではないか。


今後はこのブログ上でも積極的に内容をまとめて発信していきたいと思っているので、色々と意見を寄せてくれると嬉しいです。

2011年の振り返りと2012年の目標

毎年、年末か3月末になると一年間の振り返りと次の年の目標を書いているが、過去の記事を振り返ると全く達成できていないものがあり非常に恥ずかしい。例えば、Toefl-ibtは105点を目標にしていたが、こちらはまだ達成できていない(直近の点数は100点)。また簿記2級もまだ取得できていない。ただ、こうして毎年の誓いを立てること自体は自分の頭を整理する上でも意味があると思うので、今年も懲りずに振り返りと新年の目標を掲げたいと思う。


【2011年の振り返り】
社会人1年目であった2010年と比べても、貴重な経験を色々とさせてもらった。震災の後は、震災対応業務や、実際に福島県のある地方自治体に2週間派遣されて業務をお手伝いする等を経験できた。また、初めての異動も経験した。新しい部署では、ありがたいことに課の新政策の立案に関する仕事に携わることができている。仕事の質として充実した一年を過ごすことができた。
こうした経験をさせてもらう中で、ひたすらロジ・事務作業・課内への仕事の割り振り業務だけしていた一年目には気づくことのできなかった、国の役人として必要だと考えられる能力・知識を自覚することができた。派遣された地方自治体では、その自治体の新しい産業施策・復興計画について現実的で実行可能な提案をすることが求められた。そうした提案をするためには、法律・制度の知識、企業経営、経済に関する高いレベルの知識が求められた。また課内で新政策に関する業務に携わる中で、真に必要だと思う政策を省内外の幹部といった関係者に対して説得していく過程では、統計・バックデータをきちんと示し、理論的根拠に基づいて政策を立案することが必要であることも理解できた。


【2012年の目標】
2012年はじっくりと腰を据えて勉強していきたい。何を勉強するかについては、2年ほど前に読んだ竹中平蔵さんの「マトリックス勉強法」という本での整理を急に思い出したので、それに従って整理をしてみたいと思う。横軸に「(資格試験などの)天井がある勉強/(決まったゴールのない)天井がない勉強」、縦軸に「(仕事に直結する)人生を戦うための勉強/(仕事には直結しない)人間力を鍛えるための勉強」をとり、勉強を大きく4つのカテゴリーに分類している。こうして視覚化すると、非常に納得感があって分かりやすい。2012年はこれらをバランスよく勉強していきたい。


財務会計の理解
新しい課では税制の担当もしている。税制は企業のインセンティブ構造を大きく動かす極めて重要な政策ツールの一つ。税制は原則として全ての企業に適用され、より広範に企業行動を変える点で、特定の企業や産業を対象とする補助金よりも影響力は大きいように思う。この重要な政策ツールとしての税制を理解するためにも、財務会計の知識は必須。IFRSへの移行等、国際動向に合わせて常に変化している分野でもあるので、簿記2級を取得しておしまいではなく、継続的に最新の動向を勉強していく必要があるように感じている。


・経営法務の理解
会社の設立・倒産、M&A等による事業統合にあたっての問題点や障壁を探るため、あるいは知的財産・特許をいかに企業の収益や競争力に結び付けていくかを検討するためには、経営法務の理解が欠かせないのではないかと考えている。勉強方法として例えば、中小企業診断士という資格の中に「経営法務」という科目があるので、手始めにこの参考書を買ってきて勉強するのもありかと思う。


・教養を高める
仕事では、企業の部長・課長レベルの方々や大学の教授・准教授等、自分より年上の人たちと接することが多い。また今の部署になってからはそう多くないが、外国の政府関係者の人たちと接することもある。そうした人たちと円滑に会話を進めていくためにも、教養として世界遺産や歴史について勉強したい。特に日本の歴史については、関心の強い年配の方たちや外国人が多いように感じるので、重点的に勉強していきたい。こうした歴史を初めとする一般教養は、最短で2年半後に行くことになる留学でも役に立つと考えている。その際、資格の取得は一つの指標になるので、世界遺産検定や歴史能力検定などを楽しみながら受験したい。

ブログについて

昨日、大学院時代の研究室のOB会がありました。僕がいた頃よりも人数も大幅に増え、非常に賑やかな研究室となっていました。今では大学院の中でもトップクラスの人気を誇る研究室となったようです。話をした現役学生の中で、僕のブログを見て大学院のカリキュラムや雰囲気、学生生活を知るきっかけとなり、他大学の工学部から入学を決めたと言ってくれた後輩がいました。元々は自分自身の日頃学んだことの備忘録としてつけていたブログでしたが、後輩の進路決定にわずかながらも役に立っていたことが分かり、非常に嬉しかったです。

社会人になり更新頻度は下がってしまいましたが、今後もブログは続けていきたいと思います。ただ、学生時代のブログとは切り分けるために、新しいブログを作ろうと考えているところです。今、この「Est!Est!!Est!!!」を読み返してみると日常的な活動の備忘録が中心となっていて、あまりに個人情報を出しすぎているように感じますし、社会人になってからのブログはまた違った切り口で書ければと思っています。仕事内容については守秘義務もありほとんど言えないのですが、少なくとも一人の若手の国家公務員がどのようなことを日々考え、どのような問題意識を持って仕事に取り組んでいるかは伝えられるように思います。官僚批判はいまだに多く、もっともな指摘だなぁと思うことも多いのですが、中にはマスコミ受けを狙ってか実態に基づいていない極端な批判も多いようにも感じます。それを改善するためにも、国家公務員自らが言える範囲内でもっと意見を発信したり、問題提起していくことも大事なんじゃないかと思っています。

公共事業が日本を救う

9月22日まで10日間、ある建設企業で企業研修をさせていただいた。その中で、同企業の経営陣の方に課題図書に薦められ読んだ本。筆者は、民主党政権の掲げる「コンクリートから人へ」というスローガンの下に公共事業費を削減することは国を滅ぼすことになると主張している。


公共事業が日本を救う (文春新書)

公共事業が日本を救う (文春新書)

・十分な検証を行うことなく公共事業そのものを否定するような論調が蔓延している。しかし、日本の現状を打破するためには、公共事業を強力に推進することが必要である。
・公共事業は不要だとの批判は、誤ったデータに基づいている。例えば、日本は公共事業費が高い、道路水準は世界でトップクラスであるから道路事業は不要だといった批判があるが、筆者が再検討したところ、比較年度を統一すれば日本の公共事業費は先進国並み、車の保有台数1万台あたりの道路の長さでみれば日本の道路水準は他の先進国と比べ非常に低いレベルであることが分かった。
スウェーデン街のようにクルマのない豊かな街の暮らしを実現するためには環状道路の建設や電線の地中化といったハードな公共事業が必要。他にも、アメリカの二の舞にならないために老朽化した橋の補修・更新を行うこと、日本の貿易の競争力を高めるために横浜港や神戸港を大型化すること、利水と治水を目的としたダムを建設すること、高速道路ネットワークを構築・拡大すること、巨大地震に備えるために建物の耐震工事が必要であること、といった理由から公共事業は必要である。
・さらに、公共事業は日本が長年の間苦しんでいるデフレの解消にも寄与する。政府が国債を発行し大規模な財政出動を行い、需要を創出することは、デフレ解消の一つの解決策になる。中でも、建設産業は他産業に対する波及効果や雇用創出効果が非常に大きいため、デフレ解消への寄与度は大きい。

公共事業は不要だとする論調を真っ向から否定する内容となっており、読んでいて非常に新鮮で面白かった。私自身は都市工学科出身であり、都市を豊かにするためにも、社会・経済活動の基盤としてのインフラを整備するためにも、公共事業はある程度推進し続ける必要があると考えてきたので、共感する部分が多かった。しかしながら、著者は京都大学の土木の教授であり、土木・建設産業の必要性を主張したいがためにやや強引な議論を展開している箇所があったように感じた。例えば、ダムの建設が利水や治水のために必要との一般論は分かるが、果たして日本に本当にこれ以上のダムが必要なのかという議論が弱い印象を受けた。また、公共事業の推進がデフレ解消に寄与するとの意見については、金融緩和をはじめとする金融政策等と比べても本当に公共事業が一番有効な策なのか、高齢化社会の進展に伴い社会保障費が増大する中で本当に公共事業費をこれ以上増やすべきかについて、更なる検証が必要だろうと感じた。

しかし、本書で提示された意見が、公共事業の必要性に関する議論のたたき台になることは間違いないと思う。幸い、今年3月の東日本大震災は、橋や道路を含む公共施設の耐震補強等の観点から、公共事業の必要性について再認識する一つのきっかけとなったように思う。今後も、公共事業を一方的に悪と決め付けるのではなく、公共事業の創出する経済効果や雇用創出効果について、より建設的な議論を行う必要があると感じた。