社会人一年目の振り返り

もう間もなく3月が終わろうとしている。社会人一年目は、文字通り怒涛のように過ぎていった。社会人一年目は日々の仕事に精いっぱいで、自分を客観的に振り返る時間もなかったので、このタイミングで、改めて一年間に感じたことを整理しておきたい。


○戸惑ったところ
一点目に、ルールの多さ。ここでいうルールは大きく2つあって、社会人としてのルールに加え、役所ならではのルールの多さに戸惑った。社会人としてのルールは、報・連・相であったり、どのタイミングで上司に説明をしに行くか、相手に対して失礼のないような口のきき方といった、おそらく民間企業でも共通するようなものだった。一方で、役所ならではのルールが多いと感じた。行政文書の書き方、起案の仕方、国会関連業務のルール、法律のルール、予算関係のルール。その独特のルールを知らないだけで、仕事が前に進まないことが多く、悔しい思いをたくさんした。これらの社会人としての基礎的なルールや、役所ならではのルールに関しては、一年でも多く役所にいる上司の方が詳しいのは当然なので、一つずつ、上司から素直な姿勢で吸収していくしかないと思っている。

二点目に、仕事の量の多さ。他の民間企業で働いたことがないので単純に比べられないが、職員の数に比して仕事の量が圧倒的に多いように感じる。法律による許認可の手続きとか、予算執行上の手続き、国会関連業務など、行政機関として本来やるべき仕事の量の多さに加え、互いに類似したいくつものスケジュールの更新作業や、もう誰も読んでいないだろうと思われる発行物の執筆など、昔ならではの慣習として残っている非効率的な業務もものすごく多いように思う。国のために本当に役に立っているのか首をかしげざるを得ない仕事が多いために、本来人的資源をもっと割かなければならない業務に人が回っていないなと思うことが多い。僕自身も、本来力を入れるべき重要な仕事に時間を割けず、雑件にばかり時間を取られてしまった一年だったと改めて思う。これに関しては、僕自身、仕事の処理スピードをますます高めていく努力をすると同時に、仕事の重要性を見極める習慣をつけなければと感じている。

三点目は、二点目とも関係するのだが、上司が常にものすごく忙しくしていること。上司もあまり重要でない雑件に追われることが多く、一日の中で上司とじっくりと話をし、相談できる時間はほとんどない。上司が少し気を緩めた短い時間をぱっと捉えて、いかに要点を絞って説明をし、納得してもらうかが本当に重要だと感じた。この一年は、要点が定まらず話が冗長になったり、逆に言葉足らずで何が言いたいか伝わらないことが多く、上司に迷惑をたくさんかけてしまったと思っている。今後は意識して、上司が何を聞きたいのかを常に考え、必要十分な情報だけを端的に説明するように心がけたい


○入省して良かったと思ったところ

何より、役人もどんどん政策提案できること。これは採用時のリップサービスではなく、入省してからも本当にそうなんだと思えたところだった。提案内容が筋の通ったもので、省内の関係者を説得・納得できるものであれば、政務三役を含む省内の幹部まで上がっていき、最終的に実行されていく。実際、役人の発案したアイディアが上まで上がっていき実行されていく過程を、この1年、何度も見てきた。
政治家は常にあらゆる活動に日々忙殺されている。地元での選挙活動から、国内外の様々な有力者とのコネクション作り、国会活動など、本当に毎日忙しくしている。その中で官僚は、民間企業と密に議論を重ねることによって、あるいは統計的なデータを分析することによって、政策ニーズを明らかにし、それを法律や税制、予算措置といった具体的な政策に落としこんでいく。政治主導で実行されていくトップダウンの政策ももちろん重要だが、今後も、官僚が地道に下から練り上げていくボトムアップの政策も決してなくならないと確信している。

二点目に、この人は本当にすごいと思える役人が省内にたくさんいたこと経済・法律・税制・世界情勢、あらゆる知識を圧倒的に高いレベルで持っているだけでなく、周囲の人間・上の人間を説得できるだけの論理性・自信・説得力も備わっている。厳しい組織だけれど、この組織で何とか食らいついて頑張っていけば、自分もこうなれると憧れる人が多くいたことは、入省して本当に良かったと思えたことの一つだ。


○社会人二年目に向けて

自分の強みを伸ばし、弱みを克服する。当たり前のことだけど、それをしっかりと、粛々とやっていきたい。入省前には自分では強いと思っていたけれど全く通用しなかったこと、逆に大して強みだと思っていなかったけれど強みになると感じた点があった。

英語は強みになると思った。役所の中には、英語に苦手意識の持っている人が案外多い。僕自身は、幼少期に外国に住んでいたこともあって、英語や外国に対する抵抗感は小さいと思っている。政府が新成長戦略で掲げているインフラ・システム輸出などは経産省としても今後力を入れていく分野なので、英語力に磨きをかけて、そのような対海外の面白い仕事に関わらせてもらう機会に向けて準備していきたい。
意外なところでは、パワーポイントのスキルも役に立った。学部・大学院時代は、自分よりずっとデザインスキルが高く、パワーポイントを使いこなす人が多かったので、入省前には全く強みだと思っていなかった。けれど、役所は法学部や経済学部など文系出身者が多く、彼らはあまりパワーポイントを使い慣れていない。理系出身で多少パワーポイントを使い慣れていた僕は、上司の講演用資料など様々な資料を作らせてもらう機会に恵まれた。今後も継続的に、パワーポイントなどの資料作成スキルを磨いていければと思う。


逆に全く自分に足りないなと思う点も多くあった。テクニカルな面で言えば、法律を読み解く力。政策の最も基本的で重要なツールは、やはり法律だと感じることが多い。法律によって企業などの国内外のプレイヤーの行動を規制・誘導し、望ましい経済社会を作っていく。僕自身は、事務系で入ったとは言え、法律の素養がないのは大きなディスアドバンテージだと思っている。法律の世界にもっと慣れ親しんで、政策ツールとしての法律をもっと使いこなせるようになりたい。
また、経済の知識も圧倒的に足りていないと思う。財務・会計の知識も含めて。一・二年目といえど、日々仕事で接する企業のカウンターパートは、課長・部長レベルの人が多い。十年・二十年と企業で働いてきた人と同じ土俵で会話をするには、死ぬ気で勉強し、知識を吸収していくしかないと思っている。経済用語は、専門的な用語が多く、案外言葉にごまかされていて、自分の頭できっちりと理解できていないことが多いように感じる。「デフレのせいで経済が停滞している。」とか、「円高が原因で企業の業績が悪くなった。」と言うのは簡単だけど、実際にどういうメカニズムでデフレが起きているのか、円高は本当に悪いのかというところまで落としこんで考えるのは本当に難しい。経済活動を自分の頭で咀嚼して、自分の言葉で語れるようになりたい。

パーソナルな面で言えば、泥臭い部分も含めて、人を動かしていく力。今まで属していた集団は、ある意味みんな同じ方向を向いていて、目的意識もはっきりしていた。例えば、大学院時代に代表を務めていた東大キャンパスツアーガイドでは、年間のお客さんを3000人に!という分かりやすい目標があったし、それに向けてみんなで同じ方向を向いていた。一方、役所内には、それぞれの部署ごとにそれぞれの立場がある。財政支出を抑えようとする管理部門もあれば、研究開発予算などの政策資源にもっとお金を注ぎ込んでほしいという原課もある。また、役所間でも当然立場の違いはある。分かりやすい例で言えば、法人税率を引き下げて企業の競争力を高めようとする経産省と、財源を確保しようとする財務省。脱CO2を積極的に推進する環境省と、経済活動に支障が出ない範囲で慎重に推進しようとする経産省など。
それぞれ異なる組織の事情や目的を背中に抱えている相手に対して、どういう説得の仕方をすれば、実際に動いてもらえるか。特に、一・二年目の職員には信頼の蓄積もないし、中々思うように人を動かすのは難しい。どうやったら、それが相手にとって重要なのか、相手にとってもメリットがあると思わせることができるかどうか。手の内をすぐに明かすのではなく、どの情報から開示していくのかといった狡猾な部分も含めて、相手と泥臭く交渉し、実際に動かしていく力。そういう力が圧倒的に足りていないなと思うことが多かった。


本当に優秀な役人は、経済、法律、税制、科学技術、全ての面において圧倒的に幅広い知識を持っているだけでなく、泥臭い部分も含めて人を動かしていく力、両方を兼ね備えている人なのかなぁと。その両面を兼ね備えている人こそが、省内でも活躍している人のように思う。目指すべき理想像はものすごく高いけれど、着実にそこに近づけるように頑張っていきたい。


○具体的なアクションとして

  1. 英語に毎日触れるipodで、ポッドキャストの英語ニュースを聞く。TOEFL-ibtを定期的に受ける。まずは大学院時代の最高点102点にまで英語力を取り戻して、年内中に105点を取りたい。
  2. 経済に強くなる日経新聞を毎日読むのは当然。加えて、週に一冊は、経済関連の新書・単行本を読む。それを自分の頭で整理して、ブログに書き起こす。池上彰さんではないけれど、本当に物事の事象を理解している人は、その分野について全くの素人の人に対しても分かりやすく、なるほどなという説明をできるのだと思う。根底から内容を理解して、知識のない人に対してもなるほどなと思える記事を書ければと思う。
  3. 人との泥臭い交渉を面倒くさがらないこと。人間関係の面倒な部分も厭わずに、積極的に引き受けること。