研究の新規性

最近は研究に一日のほとんどを費やす日々を送っています。毎週の研究会で厳しく突っ込まれることを繰り返しながら、アカデミックな世界で生きていく厳しさをひしひしと感じています。将来、経産省でキャリアを積んでから、再度アカデミックな道に戻るのもアリだなどと生意気なことを軽々しく言っていましたが、生半可な決意で進むべき道ではないことを痛感しています。
でも、何らかの成果が出た時の満足感も感じられることが多くなりました。また、お互いの研究について同じ研究室の同期と議論し合う時間は素晴らしく知的に楽しい時間です。最近研究室に毎日朝から晩までいられるのも、同期とのディスカッションが楽しいからという理由が大半を占めています。
冬学期は研究会で一週間〜二週間に一回、教授陣と研究室のメンバーに対して研究の進捗報告をするのですが、最近自分の弱点やダメな点が明らかになってきました。論理の飛びが多いことと、Q&Aが下手であることです。研究は論理の飛躍がないよう、一つずつ事実や確実に言えることを積み重ねて、世の中の誰一人として発見していないことを発見する作業なんだと思うようになりました。僕の場合、論理を組み立てるときに、論理の前提となる仮定が抜け落ちてたり、MECE(モレなくダブりなく)に物事を考えられていなかったりで、論理の飛躍が非常に多いことをよく指摘されます。そのため、プレゼンテーションに納得感があまりない、とよく教授に言われます。
もう一つは、研究室の同期に指摘されて気付いたことですが、Q&Aが異常に下手くそです。質問されると、うーん、と詰まってしまい、的確に返答することがあまりできません。ちゃんと事前に考え抜いたことを聞かれても、アドリブが利かないというか、納得感のある返答をすることが苦手なようです。
まあ、自分の弱点を理解できたのは一つ進歩だと思うので、今後の研究生活で意識しながら少しずつ克服していければと思っています。


ところで、学部の卒論の時は一切考えたこともなかったのですが、研究の新規性ということについて最近よく考えます。卒論はレポートの延長のような気分で書いていましたが、修士論文となると、学術的に意義があり、新規性の高い論文を書くことが求められるように思います。はたして僕の研究に新規性はあるのだろうかと悩んでいたところ、N先生から貴重なお話をしていただいたので、忘れないうちに書いておこうと思います。

研究の新規性は、大きく四つに分けられる。

1.手法が新しい
工学系の研究では、最も一般的な新規性の出し方。
例えばN先生の過去の論文であれば、ゲーム理論とマルチエージェントシミュレーション、実験経済学のアプローチを統合的に用いて分析する、という手法自体が新しいということ。


2.対象が新しい
手法は全く新しくないが、それを適用する対象が新しいということ。つまり、既存の手法を新しい対象に適用している点で、新規性がある。


3.結果が新しい
手法も対象も一緒だが、結果が新しいということ。過去の結果を否定することで、新規性が出せる。


4.解釈が新しい
手法も対象も結果も一緒だが、その解釈が新しいということ。社会科学や人文科学の論文に多い。

さて、では僕が今やっている研究はどうなんだろうか、と考えてみました。おそらく、2の"対象が新しい"に含まれるはず。僕の修士論文は、ゲーム理論を用いて、電気自動車の普及プロセスを分析しようという内容です。ゲーム理論を用いて新製品の普及を論じたものは過去にいくらか先行研究があります。ただ、電気自動車に絞って、自動車メーカーや消費者、インフラ業者というプレイヤーを設定し、それぞれの利得関数を具体的に定式化し、普及プロセスを観察しようという研究は過去になさそうです。
そんなこんなで、頑張れば新規性があって面白い論文が書けると信じて、後2カ月ちょっと、修士論文に専念して取り組んでいきたいです。