小宮山総長の告辞と都市工学科について

3月25日は東大の卒業式と都市工学科の謝恩会だった。僕は教養学部のクラスよりも、都市工学科での2年半の方がずっと楽しかった。なぜかと言うと、演習の授業や旅行を通じて、「異質なるもの」との交流をしてこれたからだと思う。これは小宮山総長が卒業式の告辞で述べたことと通ずるところが大きい。小宮山総長の伝えたかったことを僕なりに要約すると、

「異質なるもの」と交流することで自分自身の言動や発想を客観化する視点を持つことができる。そうした「異質なるもの」との交流を楽しみ、「他者を感じる力」を養うプロセスこそが、人間を鍛え、大きな成果を生み出す原動力となる。*1

といったことだろう。


そうした意味で、都市工学科は「異質なるもの」との出会いに満ち溢れた環境であった。それは、学期中の多くの時間を占める演習を通じてであったり、個人的に行った旅行を通じてであった。今までの人生では、僕の友達は地元の友達か、バスケの友達が大半を占めていた。いわば、同じ価値観を共有した狭いコミュニティに交友関係が限られていた。けれど都市工学科には本当にいろいろなタイプの人がいた。最初は僕が今まで付き合ってきた人とは全く違う人への接し方や価値観を持った人ばかりの環境にとまどったりもした。特に演習や旅行中はその人自身の人間性や性格が如実に表れるから、この人は何でこういう人との付き合い方しかできないのだろうと腹が立つことも正直多かった。失礼を承知で言うと、高校時代の自分だったら絶対友達になっていなかっただろうなぁ、と思うような人が多かった気がする。

ただ、皆圧倒的に個性が強烈で、どの人も周りに比べて秀でた部分、これだけでは誰にも負けないという部分が必ずあった。その分野はそれぞれ全く違っていて、それらは音楽、スポーツ、データ解析、デザイン、設計、写真、絵、リーダーシップで皆をまとめること、皆を盛り上げること、国際性等であった。だからこそ、自分がいかに個性的か、面白いことをやっているかを主張しないと自分自身の存在意義が薄れてしまうような環境だったようにさえ思う。それでもどこかでそれぞれが互いを認め合っているようなところがあった。少なくとも僕はそうだったし、強烈な個性を持つ仲間から認めてもらうことが大学生活の大きなモチベーションの一つになっていたのではないかと思う。

僕自身、都市工学科の友達と出会えたことや都市工学科の演習を通じて、自分自身の方向性・適性を考え直すことができた。言ってみれば、小宮山総長の言う「『異質なるもの』との交流の中から自分自身の言動や発想を客観化する」ことのできる環境に、否応なく置かれていたと思う。その結果、自分よりももっと都市に対して熱い想いを持った人がいたり、デザインや設計の力に秀でている友達がたくさんいるから、都市工学という分野で自分は一番になることはできないだろうなぁ、と気付くことができた。だから大学院の専攻を「技術経営戦略学」に変えて、自分が大学生活に力を入れて勉強してきた英語やビジネスといったものを生かして、新しくできたばかりの専攻であるこの道でひとかどの人物になりたいと思うようになった。
まだ社会にも出ていない身分で言うのもはばかられるけど、都市工学科で過ごした二年半は、自分の方向性や適性を定めるうえで人生の大きなターニングポイントとなったのではないかと思う。これからは毎日会える環境にはなくなるけれど、大学院に行っても、その先社会に出てからも、どこかで都市工学科の同期の存在を意識しながら、進んでいく道で活躍できるように努力していきたい。




卒業式の日、安田講堂前にて中学時代からの友人と。