7月9日号 メディアについて

今週号のEconomist誌のLeadersの記事が面白かったので、簡単にレビューを書いておこうと思う。

Back to the coffee house
~The internet is taking the news industry back to the conversational culture of the era before mass media~
1.300年前、ニュースはコーヒーハウスで口コミや手紙、パンフレットやニュースレターの形で広まった。しかし、1833年に、最初の大衆向け新聞が、広告という形態をとって登場したことをきっかけに、全てが変わった。
2.現在、ニュース産業は、コーヒーハウスに近い状態に回帰している。インターネットは、ニュースをより参加型で、社会的で、多様で、特定の主義に偏ったものにしている。
3.新聞の発行部数は、インドのような国での強い需要に助けられ、世界では2005年から2009年の間に6%も増えている。しかし、この数字は富裕国での読者数が急激に減っていることを隠している。
4.過去10年の間に、西洋では新聞やテレビニュース離れが進んでいる。最も驚くべきことは、より多くの一般大衆がニュースの編集や共有、選別、議論、配布に関わるようになったことだ。(Twitterや携帯電話の投稿映像、YouTubeに投稿された日本の震災の素人映像など)
5.メディア界の権力に挑戦しているのは読者だけではない。Twitter等の技術企業もニュースの重要なルートとなってきた。(Barack Obama等の世界の著名人・リーダー最新情報をソーシャルネットワークを通じて発表している)
6.全ての自由主義者はこのような動きを祝福すべきだ。情報源の多様性と幅の広さ、より参加型で社会的なニュース環境は、良いことだ。しかし、このような環境の変化には、2つの懸念が存在する。
7.1つ目の懸念は、説明責任を維持するaccountability journalismの喪失である。印刷メディアにおいては、収入の減少が調査報道や地方政治報道の量と質を低下させている。
8.古いスタイルのジャーナリズムも、ジャーナリストが考えるほどには決して道徳的に優れたものではなかった。一方、インターネットは新しい形の説明責任を生みだしている。(PropublicaやWiliLeaksなど)
9.2つ目の懸念は、党派心(特定の主義への偏り)である。マスメディアの時代には、地方独占しているメディアは読者や広告主に対する魅力を最大化するために、比較的中立な立場をとった。しかし、より競争的な世界においては、お金は人々の偏見を増幅させるような場に生まれているようである。(Fox Newsは、より穏健なCNNやMSNBCの合計額より多くの収益を生んでいる)
10.一面的には、党派的なニュースの利用可能性が大きくなることは歓迎すべきだ。しかしニュースがより独断的になれば、政治と事実の両方が痛手を被ることになる。
11.何ができるだろうか。社会的なレベルでは、それほど多くない。しかし個人のレベルではこれらの懸念を和らげるためにできることはある。新しいジャーナリズムの生産者としては、事実に対し厳正で、情報源を透明化することである。また消費者としては、思考を幅広く持ち、基準に対し多くを要求することである。ニュース産業の変化は懸念を生じるが、騒がしく多様で、活発なニュースの環境は祝福すべきだ。コーヒーハウスは戻ってきた、これを楽しもうではないか。

ニュース産業が、コーヒーハウスで口コミや手紙の形で人づてに伝わっていた時代から、一方通行のマスメディアの時代に移り、現在はインターネットの登場で再びコーヒーハウスの時代に回帰しているのではないか、という記事。Economist誌は、これらの変化を祝福すべきだと述べている。僕自身も、概ねこの見解に賛成である。著名人や識者の意見を、例えばTwitterを通じてリアルタイムで聞くことできる。逆に、このようなブログの形で自分の考えを発信できる。英語で記事を発信すれば、世界の読者と繋がれる。記事の最後に締めくくられているように、こうした時代を楽しむマインド、具体的には、様々な媒体から発せられる異質な意見を幅広く見聞きし、その中から自分自身の主張やポジションを定め、自らも発信していくような姿勢を持つようにしたいと思った。